ジャミラは人間に戻りたかったのか。

わたしは人間なのか。人間とは何なのか。

立川談笑の独演会へ行ってきました。

 

 
 新潟は昨日から大雪。
 今シーズンはずっと雪が降らずに、「今年は天気予報が降る、降ると言いながら降らないなぁ」と思っていたら、
 昨日今日で大雪。
 街は雪に閉ざされ、気象庁から「不急不要の外出は控える様に」とお達しの出るほどの事態になったにも関わらず、
 そんな日に落語を聴きに行こうと車を走らせるバカにつける薬はありませんね。
 
 それくらいに落語が好きです。
 
 私は特に立川流のファンで、今は亡き家元「談志」は言うに及ばず、志の輔談春、今回聴きに行った談笑。みんな大好きです。会場で売っていた談春独演会のチケットもその場で即買いしてしまいました。
 立川流の落語の特徴は何と言ってもその「理屈っぽさ」から来る古典落語の大胆なアレンジ。
 落語ではおなじみとされている古典の噺であっても、立川流にかかると一味も二味も違う噺へと豹変します。
 
 オーソドックスな落語というのは「演劇」に近いイメージで、古来から伝わっているお話を基本脚本通りに演じる、つまりは「演技力」
によって落語ワールドへ観客を引き込んでいくんです。
 立川流はどの噺家さんも地力が高い、とにかく「上手い」のでその点では他の追随を許さない実力者揃いなのですが、
 立川流はそこに「論理的な考察」が乗っかってきます。
 「現代の価値観で考えるとちょっと合わない」と思われる様な場面が落語には多数存在します。当たり前です。時代が違うんですから。
 その現代とのちょっとした齟齬、噺家自身が感じたちょっとした違和感を立川流は良しとしません。
 しっかりとじっくりとその違和感について考えて、立川流噺家さんたちはそれぞれに自分の答えを出して噺を修正してきます。
 その修正の跡を感じるのが立川流の醍醐味なんです。
 
 今日の談笑の話も、随所に普通の噺家さんはやらない様な修正点を見つけることができる。実に立川流らしい独演会でした。
 
 それではここで、今日の独演会でも披露された談笑さん噺を一つご紹介します。
 「水瓶を値切る」というエピソードの古典落語「壺算」を現代風に大胆にアレンジした「薄型テレビ算」という噺です。
 ぜひ、じっくりとお楽しみください。