ジャミラは人間に戻りたかったのか。

わたしは人間なのか。人間とは何なのか。

昔話が教えてくれるもの。

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昔話。
母はわたしが子供の頃よく読み聞かせをしてくれた。
桃太郎や浦島太郎などの「昔話としてはおなじみ」という物もあったが、
ムーミン谷の彗星」を読んでもらったのが印象に残っている。

閑話休題

伊集院光さんのラジオ(もちろん朝の番組の方だ)にゲスト出演された

口伝による昔話の伝承を研究している「小澤俊夫」さんの「昔話は残酷な現実世界を子供に伝えていくためにある。」という旨のトークがとても印象的だった。

 

伊集院光オフィシャルブログ「小澤俊夫大先生」】
http://lineblog.me/ijuinhikaru/archives/3024751.html
YouTube伊集院光とらじおとゲストと ゲスト:小澤昔ばなし研究所所長の小澤俊夫さん(2016.4.26)」】
http://youtu.be/xRLfsqbMvz0

グリム童話原典版は話のディテールがグロテスクな物が多いというのは有名な話だろう。

日本の昔話にもなかなかにグロテスクな物が多いという事も、伊集院さんのトークを長く聴いてきたファンにはなじみが深いだろうと思う。
伊集院さんが日本の昔話に惹きつけられる大きな理由の一つとして、ラジオのトーク(こちらは深夜の番組)の中で繰り返し語られて来た事だからだ。

時代の変化によって、近年の昔話は口伝ではなく、出版物によって伝承されていくようになったのだという。
出版物はより売れるようにと物語のディティールを変えられてしまう事が増え、本来の物語が持っているメッセージが失われてしまうケースが少なくないのだそうだ。

この話を聴いて、わたしの脳裏によぎったのは、昨今の特撮作品のことである。
テレビ番組が視聴者からの苦情に怯えて縮こまっていく現象は特撮作品においても例外ではないようで、
昨今の特撮作品では残酷な描写が極力避けられている様に感じられる。

昔の特撮作品といえば、悪者によって罪のない市民が被害に遭うシーンがつきものだった。
だからこぞ悪は悪として認識され、正義の鉄槌を受ける正当な理由になったにも関わらず、
昨今の特撮にはそのようなシーンを見ることは大変珍しくなった。
悪として描かれている存在がそこまで悪いことをしている様に見えないのだ。

子供たちへ向けた物語の中に現れる残酷な表現、グロテスクな表現には、強く印象付けたい物語が持つメッセージが込められていたはずだ。
そんな物語の根幹に関わる部分が伝承されずに消えてしまおうとしているのかもしれない。

子どもたちへ向けた物語の中から残酷な描写が追い出されつつある。
しかし、現実の世の中は相変わらずの残酷な世界なのである。

「子供に夢を」も大いに結構だが、
夢をかなえるためにはシビアな現実の中で戦っていかなければならないのだ。
そうゆう事もしっかりと教えてあげなければ本当の教育とは言えないのではないだろうか?
そうゆう汚い部分も含めて教えてあげることが「優しさ」なのではないだろうか?

【小澤 昔ばなし研究所】
http://www.ozawa-folktale.com/